2009年10月27日 (火)

経営者の意思決定

今月の私の履歴書は、帝人の元社長の安居祥策さんだ。
本日(10月26日)の話は経営者を長くやっていると、下からの情報が上がってこなくなるから危険だという話でした。そのため彼は、役員会でみんなに意見を言わせたり、アドバイザリーボードを作ったりしたと書いてありました。
でも私の話したい話はこれではありません。
社長になると話が入ってこなくなるというくだりで、彼はこう書いてました。
「経営者は情報量が3割しかない段階で決断しなければならない。5割になるのを待っていたら遅い」
これがまさに経営の本質あるいはもっといえば経営者の孤独な意思決定の本質です。
私も常々、情報が揃うまで待って意思決定したのでは遅い。今ある情報で、どれだけ優れた意思決定が出来るかが経営者に求められる要素であり、これは訓練で高めることが出来ると言っています。全く同じ話を安居さんがしているのを読んでうれしくなりました。
ただし、安居さんはだから独りよがりにならないように、人の意見を聞こうと続けます。私はそうではなくて、3割の情報でも企業(組織)にとって、優れた意思決定が出来るためには仮説思考が大事であるとつなげます。
でも、本質は同じだと思っています。みんながなるほどと納得するような案は既に”Too late”です。だからといって、未来のことはどうせ分からないのだからと、当てずっぽうに物事を決めるのも経営者失格です。どうやって、意思決定の質を高めるか、これこそが良いリーダーになるためのカギでしょう。

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2009年3月23日 (月)

散るぞ悲しき

弁護士の中島茂先生お薦めの梯(かけはし)久美子さん著「散るぞ悲しき」をようやく読むことが出来た。中島先生がリーダーシップの鏡と言うだけあって、大変参考になる中身でした。
散るぞ悲しきは第二次世界大戦末期に硫黄島玉砕時の現地司令官だった栗林忠道中将の生き様と硫黄島玉砕の話を語ったノンフィクションだ。詳細は本書に譲るとして、いつものように私が気に入った部分だけを取り上げてみよう。

栗林中将は負けると分かっている硫黄島の戦いの中で、日本軍に共通の戦法「死を前提として一斉に突っ込んでいく突撃」を一切許さなかった。それは梯氏によると、「硫黄島における戦いの目的が一日でも長く持ちこたえて米軍の日本本土襲撃を遅らせることである」と栗林氏が理解していたせいだという。そうなると、一斉に突撃して死んでしまっては元も子もない、一日でも長く戦闘を続けさせるためには無駄に死んではならないという考え方だったという。要するにきわめて合理的な考えの基に戦略を構築し、それの実行を部下に強いたのだ。

さらに、島を守る陸軍の戦い方に対しても、従来の日本陸軍の水際で迎え撃つ作戦を否定し、島の奥に籠もって戦うゲリラ戦を主体とした。これも水際作戦は彼我の戦力差があまりないときに有効だが、圧倒的に戦力とりわけ火力で劣るときには却って早期全滅を招くという考え方から来ている。こうした従来と異なる戦略を考え出した背景には現場を詳細に観察し、現状分析の元に最も有効な戦略を考えるという合理性があったのだ。そのためには当時の大本営の大方針する否定して、自分の信念を貫いた。
それについて、梯氏は「観察するに細心で、実行するに大胆というのが栗林の本領である。彼はものごとを実に細かく"見る人"であった。定石や先例を鵜呑みにせず、現場に立って自分の目で確かめるという態度をつらぬいた。」と語る。
これはまさにクラウゼヴィッツの戦争論に通じる話だ。クラウゼヴィッツは戦争のリーダーは先見性、勇気に加えて、現場に通じていないといけないと言っている。

本当は負けると分かっている戦で部下を2万人も死なせることなく、全面降伏したかったのだろうなと思いつつ、本書を読み終えた。

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2008年12月 7日 (日)

優れたリーダーは感情へ働きかける

11月始めの大隈塾のゲストスピーカーは伊藤忠会長の丹羽宇一郎氏だった。
丹羽氏は伊藤忠を立て直しただけでなく、日本のオピニオンリーダーとして多方面で活躍中だ。

その丹羽氏が早稲田ビジネススクールの学生たちにリーダーシップについて語ってくれたのであるが、学生にとっては至極の講演だったと思う。ただし、彼らがどこまでそれをくみ取ってくれたかは・・・。

丹羽さんの話の中で、いくつか印象に残った言葉を上げてみると、
今回のアメリカの金融危機は、金融機関の経営者が他人の言葉や情報を鵜呑みにして意思決定したのがいけない。経営者は一次情報に基づいて、自分の常識を働かせて判断しないといけないと言っていた。同感である。

阪神が巨人に13ゲーム差を逆転されたことを引き合いに出して、リーダーシップにおける精神や気力の重要性を説いていた。また、優れたリーダーは感情へ働きかけることで、共鳴の波長を創り出すことにあるとも言っていた。おもしろい。またノーベル賞を受賞した小柴さんの言葉を引用しながら、経営者は常に問題意識を持ち続けて、昼夜考え抜くことが大事で、そのためには昼間は知性と理性を働かせ、夜は感性と直感を働かせるのだそうだ。私がスパークする思考で言っていることに極めて近いので、驚いた。

さらにトップには自信がなくてはならないが、その自信は「狂いに似た確信」であると断定していた。

学生からのリーダーになるためには我々は何を学ぶべきか、あるいはどうしたらよいのかという学生からに質問には、
最初の10年で底力をつけ、次の10年で自分の仕事を徹底的に勉強し、最後の10年で人間を知ると答えていた。良いこと言うな。したがって最初の10年は死ぬ気で働くことが大事とも言っていたが、今時こう言うことをはっきり言ってくれる経営者は珍しいので、とてもうれしい。

丹羽さんは自社の経営以外にも政府の委員などをたくさんやっているが、それとは別にボランティアで世界食糧計画(WFP)を通じて恵まれない人々への食糧支援活動をサポートしている。

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2008年11月12日 (水)

周波を拾う

元Jリーガーでテレビのサッカー解説者などを経て、現在筑波大学のサッカー部監督をやっている風間八宏氏が、11月11日付の日経新聞のスポートピアというスポーツコラムになかなか良いことを書いていた。
「自分変える勇気を」と題して、自分が監督に就任してから、どのように大学生を指導してきたかという文章である。
本来ならもっと若いときに基礎鍛錬を施すべきだったのに、大学に至るまでそうした訓練を十分に経てこなかった若者が大学に入ってから変身できるのかという命題である。
彼に言わせると規律で縛るのではなく、自由の中で自分をどうつかみ取っていくかを説いたようで、結果として横並びの列に優劣が生じるようになり、個性が不揃いに分かれていったという。要するに大学に入ってからでも遅くなかったと言っているのである。
さらに、「規律とは自由の中にあるもの。あまりに自由で手がかりの少ないピッチの上で、自分の輪郭を縁取るもの。つまり"自律"であり、これを定めたものは勝手に伸びていく。」と記している。名言である。

そうした文章の中で私のアンテナ(最近書いたスパークする思考風に言えば「問題意識」)に引っ掛かったのが以下の文章である。
「本当はもっといたのではないか、彼らの発する周波を私が拾えなかったのではないかと不安にもなる。若者の夢を見る力の不足を平素から案じていたが、大人の作った社会にも彼らがいる以上、この命題は私たち大人に跳ね返ってくる。」
こうした考えを持って若者を指導する大人がいる以上、日本の指導者も捨てたものではないなと思った。自分もそうありたい。

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2008年9月 2日 (火)

リーダーの引き際(2)

ちょっと日本を離れている間に、政治が更におかしくなっているようですね。というより、リーダーの資質が問われているといった方がよいのかも知れません。

私はリーダー(特に経営者を意識していますが)の重要な役割に後継者を選ぶことあるいは養成することを上げています。興味のある方は以前掲載した「管鮑の交わり」のコラムを参考にしてください。
http://uchidak.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_a3b3.html
日本企業が直面している多くの課題はここにあると思っています。それは以前と同じようなやり方で、これまでと同じようなタイプの後継者を指名したのでは会社はうまくいかないと言うことに他なりません。そのために私は経営者育成に力を入れているのです。
ちなみに、後継者育成という視点では、安倍首相を選んでしまった小泉首相は良いリーダーだったとは言えないと思います。ただし、今日の本題はこちらではありません。

リーダーに求められる資質にはいろいろあると思いますが、資質とは別の次元で、リーダーにとって非常に難しい意思決定が自分の引き際だとも思っています。これについても以前書いた「リーダーの引き際」というコラムがあるので参照してください。
http://uchidak.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_8e46.html
世界一に何度も輝いたアニカ・ソレンスタムが今年いっぱいで引退するのも、そこに引用してる村口プロと同様な理由ではないかかと思っています。

しかし、組織のリーダーとプロ選手の最大の違いは組織を預かっていることの重要性&重みです。組織のリーダーのやめ方については、実は個人的な美学があるのですが、それはまたの機会にするとしても、今回の福田さんにはちょっとびっくりしてしまいました。前任の安倍さんが途中で政権を投げ出して自民党は国民からの信任をなくしたのですから、そのことを踏まえればどんなに醜態をさらしてもみんなからやめろコールが起きるまではやり続けるべきだったと思います。それに耐えられないというのなら、安倍さんの後任を引き受けるべきではなかったと思います。死者にむち打つようで申し訳ないのですが、リーダーというのはそれだけの責任を持つべきですし、社員の生活(人生)を預かっているのですから。(首相の場合はもっと大切な国と国民の将来ですね。)

この脈絡で言うと、何か不祥事が起きたときにトップが責任をとってやめるというのも、いかがなものかなと思っています。要するに組織が良くなるためにリーダーとして何をなすべきかが大事なのであって、社会の評判や個人の名誉は二の次になると思うのです。そういう意味で、つまらない些細なことでも辞任を要求するマスコミはバカだと思っています。

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2008年4月17日 (木)

竹中氏の語るリーダー像

昨日より、ビジネススクール(夜間)でリーダーシップに関する新しい講義がスタートした。
早稲田大学OBでジャーナリストの田原総一朗氏と私のコラボレーションによる将来のリーダー育成講座である。通称は大隈塾「リーダーシップ講座」である。早稲田大学特命教授でもある田原氏がこれまで数年にわたって、日本橋でやってきた講座を正規科目に発展させたものである。

毎回、各界のリーダーをゲストに呼んで、前半の講演&質疑応答(90分)を田原総一朗さんが担当し、後半の受講生同士のディスカッション(90分)を内田が担当するという構成だ。

ゲストは田原総一朗さんのネットワークから選ばれているだけあって、経団連会長の御手洗さん、伊藤忠の丹羽会長、ソニー前会長の出井氏、ローソンの新浪社長など錚錚たるメンバーが並んでいる。

一回目のゲストスピーカーは小泉政権を支えたブレーンの一人で&郵政改革の実行役の竹中平蔵氏だった。
話の具体的な内容は紹介できないが、郵政民営化の内輪話や小泉前首相のリーダーシップの発揮の仕方、竹中さんの考えるリーダーの条件など様々な角度の話が飛び出し、受講生もみんな聞き入っていた。

竹中さんの考える小泉さんのすばらしいところはいろいろあるようだが、話の中で一番印象に残ったのが「ボーリングで言うところのセンターピンを見つけて、それを倒すやり方が秀逸だ」という話で、なるほどなと思った。

直後の質疑応答では、それだけすばらしい小泉さんがなぜ後継者選びには失敗したのかなどの手厳しい質問も飛んでいた。竹中さんがなんて答えていたかは内緒である。

実はこの講座は早稲田大学の中でも珍しい講座で、従来よりビジネススクールに通っている在校生(MBA生)とこの科目のみを履修する企業派遣生が同じ講義を受けるのである。
その構成はおおよそ半々であるが、どちらも30歳から40歳前後の企業経験が豊富なビジネスマンばかりであることから、活発な議論が展開されるのではないかと楽しみにしている。

1年間の長丁場であるので、彼らの進化?を時々報告していく。

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2008年2月28日 (木)

経営者のプロ化

今月の私の履歴書は川淵三郎氏であることは、以前も書いたとおりである。
2月18日付は、ドーハの悲劇と題して、日本が初めてワールドカップに出られるかも知れなかったのが、最後の最後にダメになった話が書いてある。
その中で、私が触れたい話が2つある。

一つはそのときの日本代表監督ハンス・オフトについてである。彼のリーダーシップのすばらしさについては、別途項を改めて触れたいと思うが、今日はその話ではない。どうしても待てない人は、私の著書「仮説思考」にも詳しく書いてあるのでそちらをご覧ください。

さて、日本サッカーの父がドイツ人コーチクラマー氏だとすれば、ハンス・オフトは日本のサッカー界が初めて雇ったプロの代表監督だ。川淵氏に寄れば、それまでの代表監督は企業に頭を下げて、そこからエースを出してもらってやっていたため、お金はかからないが、逆に成績が悪くても辞めてもらうのが難しかったと書いてある。そして、そんなアマチュア監督に個性はプロのラモスや三浦知良を束ねることなど出来るはずがないとも書いてある。これはおもしろい見方だ。

この議論を内田流に進めると、代表監督の選考に当たってはオフトがサッカー選手として優秀であるとか、金の稼げるプロ選手だったということとは関係ない。逆にコーチ(監督)として、実績があり、優秀かどうかというのがプロの監督の評価基準だったはずだ。

コンサルティング会社では、どんなにマネジメント能力が高くても、コンサルタントとしてのスキルがいまいちの人間はリーダーを務めるのが難しい。弁護士事務所もきっとそうだろうなと思う。
でも一般の企業は必ずしもそうではない。というのもいろいろな職種があるからだ。そうだとすると優れたリーダー(経営者)というのは、仕事のプロではなく経営のプロとなるはずだ。そうなると、コンサルティング会社より、普通の企業の方がよほどプロの経営者が求められるのに、現実は中から昇格した人ばかりなのは、どう解釈すべきなのだろうか?

  • 外に人材がいない?
  • 社内に経営のプロにふさわしい人が育っている?
  • よく分からない外から来るプロの経営者より、経営者としては一人前といえないが中のことを知っている人を選んでいる?こんなことないよね・・・。

誤解があるといけないので、あえて書いておきますが、私は外から経営者を招聘するより、社内で育てた経営者の方が経営はうまくいくと思っています。問題はどう見つけて、育てるかです。

もう一つは感動の話であるが、これはまた明日。

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2008年2月 8日 (金)

管鮑の交わり

中国のことわざに管鮑(かんぽう)の交わりというのがあります。きわめて仲がよい友達同士をさす言葉として使います。
斉の国の宰相になった管仲(かんちゅう)とその友人の鮑叔(ほうしゅく)とは幼なじみで大変仲が良かった。管仲が不遇の時代から、その将来性を買っていた鮑叔は彼をかばったり、理解を示していた。そして鮑叔が頂いている公子が斉の国の王様になったときに、その宰相(総理大臣)として、自分ではなく、新国王の政敵に味方していた管仲を推挙したことから、自分のことより友達のことを思う人格者として有名になりました。この故事から生まれたのが、有名の冒頭の言葉です。

なぜ、鮑叔が管仲を推薦したのかと言えば、もちろん友人思いというのもありますが、それ以上に管仲の方が自分より優れた総理大臣になる資格があり、斉の国が栄えると思ったからです。事実、管仲が宰相を務めた時代の斉の王様桓公(かんこう)は春秋の覇者となりました。

さて、本題です。この管仲は中国の歴史上最高の宰相と言われていますが、実は後継者選びには失敗し、その後の斉の国は乱れました。
私はリーダーの大事な役割の一つに、自分がリーダーを降りた後の組織を安泰にすることがあると思っています。もちろん、自分より同等あるいは自分以上の能力を持つものを後継者に選ぶこともそうですし、あるいは組織や制度を整備して組織の寿命を長く保つこともこれに入ります。
小説家の塩野七生さんが書いたローマ人の物語を読むと、ローマ帝国の優れたリーダー(皇帝)達は、後者の術に長けていたのだなと言うことがよく分かります。これについては、別途機会を見つけて述べます。

後継者育成や引退後の国政を盤石にするという意味では、管仲という優れたリーダーを送り出した鮑叔の方が、管仲よりは優れたリーダーだったといえるのではないかと思うのです。
要するに歴史上最高の宰相を指名した鮑叔こそ、最高のリーダーだったのではないでしょうか。

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2008年1月30日 (水)

プロフェッショナルの条件とは

昨日のイチローの記事に、Jさんから大変興味深いコメントが寄せられた。
詳細はコメント欄を見てもらうとして、それに触発されたのが今日のテーマだ。

Jさんのコメントを私なりに解釈すれば、イチローは一選手としては優秀かもしれないが、野球がチームプレーであることを忘れて個人主義に走りすぎているが故にアメリカのファンの間ではすごいな(impressive)とは思われても、尊敬(respect)はされないのだという。

なるほどと思う反面、それは悪いことなのかという疑問も浮かんできた。
日本を飛び出て海外で活躍した選手は多かれ少なかれ、似たタイプが多い。サッカーの中田英寿がそのタイプだし、古くは野茂もそうだったと思う。

以前私が書いた本の中に、これからの組織における働き方を銀行ギャング団方式として提唱したことがあった。少し長いが引用しよう。

実力がすべての銀行ギャング団方式
 プロフェッショナルの能力を活かし、やる気を育てる仕組みの一例として「銀行ギャング団方式」を提唱したい。
 銀行ギャングを成功させるためには、いくつかの条件がある。まずは特定分野の専門家を集めなければならない。例えば、金庫を開ける係、爆破係、運転手、セキュリティシステムの専門家、拳銃などの武器を使える人間などである。ボスになる人間は、これらの分野の専門家をどこからか集めてこなければならない。加えて、個性派の彼らを目的のために協力し合うようにし向けなければならない。
 もし金庫を開けることが、銀行ギャング成功のために最も重要であるならば、ボスより年上であろうが嫌なヤツであろうが、もっともスキルのある人間を選ばなければ成功の確率は下がる。目的を達成した場合には仕事の難しさや貢献度に応じて報酬を払わなければならない。そして銀行ギャングが成功した暁には、ボスではなく金庫を開けた人間が最高の報酬を受け取ることさえ十分あり得る。
 要するに与えられたミッション、あるいは自ら設定したミッションの遂行にふさわしいチームフォーメーションを取ることが重要であり、今までのような年功や地位でメンバーを選ぶよりも、スキルとプロ意識でメンバーを選ぶと言うことである。(内田和成「eエコノミーの企業戦略」、PHP社、2000)

要するに変わり者でも、組織のミッション達成のために必要な人間であれば、そいつを使いこなす必要があるし、リーダーにはそれだけの力量・度量が求められるという話だ。

イチローがマリナーズにとって果たしてそういう存在なのかどうかは私にはよく分からない。しかし、彼は私が上に定義したところの仕事請負人としては一流であることは間違いない。
しかし、日本ハムを一年で日本一に導いた新庄剛のような求心力がないことはJさんの言うとおりであろう。新庄は記録だけ取れば平凡であるが、何か人をその気にさせるものを持っているのだろう。しかし、それが人の上に立つリーダーに向いた資質かというとまた別のものであろう。

例えば、現役時代の落合は今のイチロー以上にチームプレーヤーではなかった。
ところが、その落合がリーダーとしては、きわめて成功しているのだから、人生は分からないというのが正直な感想だ。

少し脱線しましたが、真のプロとは、あるいはそのプロを束ねるチームプレイとは、あるいはそのリーダーの資質とはについて大いに考えさせられるJさんの投げかけでした。
皆さんの声をお聞かせください。

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2007年12月 5日 (水)

スターの育成

今日の日経新聞スポーツ欄におもしろい記事があった。吉田誠一さんが書いたフットボールの熱源というコラムである。

アルゼンチンサッカーの育成部門で活躍し、今年の20歳以下の世界選手権でアルゼンチンを優勝に導いたコーチのウーゴ・トカリさんの話だ。
彼は、13年間アルゼンチンサッカー協会で選手の育成に携わり、その間世界を代表するフォワード(点を取るのが仕事)を数多く排出してきた名コーチである。ちなみにアルゼンチンの代表選手としては、メッシ、テベス、サビオリ、リケルメなど枚挙にいとまがない。

そのコーチが来日して、コーチングのワークショップが開かれたそうだ。その際に日本のコーチ陣から、「アルゼンチンにはストライカーを育てる特別のコーチ法があるのか」、「ずるがしこさはどうやって身につけるのか」などの質問が飛んだそうである。

ちょっと補足しておくと、日本サッカー界の中盤には同世代だけを見ても中田英寿をはじめとして、中村俊輔、小野伸二と世界に通用する選手がたくさん出てくるのに、点を取るフォワードとしては40年前の釜本邦茂を唯一の例外として世界に通用する選手が育たないというジレンマがある。そこで上記の質問になったというわけだ。

それに対して、トカリ氏は「それは選手が元々持っているものであったり、ストリートサッカーで自分でつかんだものであり、我々が教えられるものではない」と答えたそうである。
あるいは「試合で結果を出せなくても、変わったものを持っていたら、切り捨てずにチームに残しておくべきでしょう」、「指導者はマニュアルでなく、自分の勘を大切にして欲しい」と答えたという。

この記事を読んで、私は企業が人を育てるのにもかなり似た面があるなと感じた。優秀なビジネスマンを育てるために特別な研修とか指導法があると言うより、本来その人間が持っているものを如何に見つけ出して、切磋琢磨する機会を作ってやれるか。あるいは、実戦で学ぶ機会を用意してやれるかが重要だと言うことだろう。
これって、もしかしたらビジネススクールの効用を否定しているのかな・・・・?

それにしても最近の日経新聞は経済面や産業面よりスポーツ面の方がビジネスに役立つ記事が多い。日経新聞の企業関係の記事がつまらないと言うより、私の感性がより感覚的な事柄やプロフェッショナルの育成といったものに向かっているせいだろうが・・・。

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2007年11月19日 (月)

リーダーの引き際

民主党の小沢一郎が演じた辞任劇から2週間ほど経過した。
この間に小沢氏に対する毀誉褒貶がいろいろあったが、私はそれを論じるつもりはない。しかし、今回の事件(あるいは騒動と呼ぶべきか)を通じて学んだことはリーダーの引き際の難しさと後継者育成の難しさの両方である。
要するに小沢氏が引退の花道を飾り損なったのではないかということであり、さらには民主党には小沢氏に変わる後継者が育っていないのではないかと言うことである。後者については、小沢氏が自分のことばかり考えており、後継者育成のことを考えていないことが明らかになったという方が正確かも知れない。

先週火曜日(11月13日)の日経スポーツ欄に元プロゴルファー村口史子が書いたスポートピアというコラムにスポーツ選手の引退の話が出ていた。1999年に賞金女王になったほどだから、実力はある。その村口選手が2003年のシーズンが終わったとき、「優勝争いをするレベルで戦うのは難しいな」と考え、あと1年プレーして引退しようと決めたそうだ。やれるだけのことはやって引退しようと考えてプレーしたこともあり、翌2004年は、翌年のシード権を獲得できたとのことなので、結果として満足いく成績は残せたようだ。しかし、彼女は当初予定通り、惜しまれながら引退したそうだ。なかなか出来ることではない。
彼女曰く、会社員なら定年がある。プロ野球選手やJリーガーなら、現役を続けたくても球団から肩たたきにあう。ところがゴルフはプレーと同じで自己判断を求められる。だから辞め時が難しいと説く。その通りであろう。
この記事を読んで、今回の騒動を思い返せば、経営者でも辞め時は難しいが、政治家はもっと難しいと言う印象を持った。

経営者の辞め時に関しては、また回を改めて述べてみたい。

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2007年11月 2日 (金)

リーダーの決断

昨日の日本シリーズ最終戦をたまたまテレビで見ていたら、リーダーとしてのきわめて難しい意思決定を迫られる場面に遭遇した。
それは、チャンピオンシップがかかった大事な一戦で、8回まで中日が1点リードで迎えて9回表にピッチャーとして誰を送るかという問題だ。1点差で勝っている場面で、9回となれば中日には絶対的な押さえのピッチャー岩瀬がいる。セオリー通りであれば、岩瀬を送るのが常道だ。何せ、岩瀬はこうしたポストシーズンでの自責点がゼロ、すなわち一点も許したことがないという実績を持っている。

ところがみんなも知っての通り、話は単純ではない。8回まで投げていた中日のピッチャー山井が日本ハムを零点に抑えていただけでなく、一人のランナーも出さない完全試合ペースだったのである。通常であれば、山井に完全試合の記録に挑戦させたいと思うし、ファンも明らかに山井の続投を望んでいた。これが企業経営であれば、間違いのない岩瀬投入を選ぶと思うが、プロ野球がエンタテイメントと考えるのであれば、山井を投げさせるのがショー的には人気を呼ぶと思う。

しかし、冷静に考えれば、山井を続投させれば本人も完全試合を意識するし、守備についている選手もそれを意識せざるを得ない。そうなると、単に走者を出してしまうだけでなく、それがきっかけで同点ないしは逆転の可能性が十分あり得た。そして、万が一そうなったときに、ファンやマスコミの非難が落合監督に向かっていたことは想像に難くない。それに対して、岩瀬を投入していれば、かなりの確率で昨日と同じ試合結果、あるいは走者を出したとしても、点を許さずに日本シリーズを制覇した可能性が高かったと思う。また、仮に岩瀬でダメだったとしても、落合監督としてはあきらめはついたのではないかと思う。しかし、山井で言ってダメだったとしたら、リーダーとしては悔やみきれない気がする。

そういう点、昨日の落合監督にリーダーとしての資質を見た。しかし、こういう落合監督をかわいくないと思う自分がいる。そして、逆に私だったら、理屈では落合監督と同じ意思決定をすべきと分かっていても、実際には山井を続投する意思決定をしただろうなと思う。そこが私のリーダーとしての限界なのだと思う。

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2007年10月18日 (木)

キャプテンシー

今日10月17日の日経新聞スポーツ欄のサッカーに関するコラムにいい話が載っている。吉田誠一さんという人が「主将に求められるものは」というタイトルで書いたリーダシップに関する話である。

サッカーでフィールドにいる選手の中のリーダーのことを主将とかキャプテンとか呼ぶが、そのキャプテンが持つべき資質やあり方のことをキャプテンシーと言う。そのキャプテンシーを感じさせる出来事が試合であったという話である。

それはドイツの3部リーグのある試合で、ユニオン・ベルリンのある選手が相手選手に危険なプレーをしたために、2枚目のイエローカードを受け退場になった。イエローカードに値するかどうか微妙なプレイだったこともあり、反則をした選手が不服そうな顔をしてピッチを去ろうとした。
そのとき、キャプテンがその反則した選手に、何事がささやくとその選手がファウルをして痛がっている相手選手のところに行って謝ったという話だ。

相手が怪我をしたら、謝るのが社会常識で、それを忘れた選手をたしなめたわけだが、判定の是非とは違うところで同僚が社会性、規律を欠いていることをたしなめたのがキャプテンの判断だったのだろうと書いている。

組織のリーダーが持つべき資質をうまく言い表しているコラムである。是非原文をお読みください。

ご承知かも知れないが、サッカーでは正式な指揮官は監督である。一方でいったん試合が始まれば監督が出来ることはきわめて限られる。そうなると現場で指揮を執るキャプテンのリーダーシップが大きな意味を持つ。ところがキャプテンは権限があるようでない。そうした中でどのようにリーダーシップを発揮するかは、最後は人間性を問われるのだろう。

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2007年4月 7日 (土)

柔らかなリーダーシップ(続き)

昨日紹介した柔らかなリーダーシップがなぜ良いのかと言えば、
①リーダーがすべて決めるのではなく、各自の自発性を尊重すると言うことは、すなわち一人一人に考えさせることになる。逆に言えば、現場や顧客接点で何か問題が生じたときや判断が必要なときに、現場が自分で考えて判断し、それがまた会社の方向性にそったものになっている可能性が高い。要するに反射神経(脊髄反射)で勝負できる。オペレーション仕事でマニュアル判断でよい場合別として、是々非々の判断が必要なときに全部本社、トップまで上がる企業に比べれば格段に変化対応スピードが速いだろう。あるいは顧客の満足度を高くできるとも言える。
②環境変化に対して強い
昨日も述べたように鋼の強さではなく、葦のようなものであるために強い風をかわすすべを知っており、ポキッと折れる心配がない。多少の逆風はやり過ごしたり、予想外の方向からの変化に対しても、柔軟に考えることが出来るリーダーである。
③後継者が育てやすい
カリスマ型の経営者をいだいたところは、その後の経営がうまく行かないことが多い。一つには前任者が偉大すぎて、後継者のなり手が見つからない。あるいは見つかったとしても、前の経営者と同じことをやろうとしてもうまくいかない。違うことをやっても以前のやり方が残像効果で残っており、うまく変われないなどの問題が生じる。
一方で、柔らかなリーダーシップの場合は、普通の人でも自分でも出来そうだと思い、なり手は比較的多く見つかる。あるいは、普通の経営者が経営しても大丈夫なような仕組みを作ることが可能である。ただし、柔らかなリーダーシップには柔らかなリーダーシップの難しさがあるので、誰が後継者になっても同じことが出来るとは限らない。

一方で、デメリットとしては、
①社員を強引にリードするのではなく、自発的に動き出すよう仕向けるのであるから、うまく回り出すまでにとても時間がかかる。
②ある程度の能力があり、自分で仕事を切り開いていこうという人間が少ないと、なかなかうまくいかない。そういう企業では、つべこべ言わずに俺の言うとおり働けの方がうまくいく場合がある。別の言い方をすれば、自律心のない社員が多いと成り立たないとも言える。

皆さんの意見を是非お聞かせください。

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2007年4月 5日 (木)

柔らかなリーダーシップ

20の引き出しのフォルダ解説のリクエストシリーズで、今回は「柔らかなリーダーシップ」である。これはまず、私の造語である。

通常、優れたリーダーシップといえば、クリアなビジョンを持ち、強力な力で組織を引っ張っていくカリスマ型の豪腕なイメージが強いと思います。これをカリスマ型リーダーまたは鋼のリーダーシップと呼びます。
例えば、日産自動車のカルロス・ゴーン、トヨタ自動車の奥田碩(前経団連会長)さん、GEの前会長ジャック・ウェルチなどマスコミに多く登場する経営者はほとんどがこのタイプです。
もちろん、企業存亡の危機にはこうした危機脱却のためのカリスマ型リーダーの必要性は否定しないが、私はあえてカリスマ型リーダーに異を唱えている。というのも、カリスマ型の経営者というのは、在職中は良いがその後に反動が来たり、大きな環境変化があったときの対応に問題があるような気がする。強引なリーダーシップで企業を大きく舵取りした結果、そう簡単には反対側に旋回出来ないのである。あるいは強いリーダーシップほど、ぽっきり折れてしまう可能性が高いと見ている。

代わりに、カリスマ型リーダーシップでないリーダーシップを「柔らかなリーダーシップ」と呼んでいる。

今日のように、環境変化の大きさとスピードが激しく、先が読めない時代には、カリスマ型の強引なリーダーシップより、実は風にそよぐ葦のような柔軟でかつ倒れそうで倒れないリーダーシップスタイルが求められていると思っている。
要するに、自分でがんがん主張し、強引に組織を引っ張っていくのではなく、人の話はよく聞くし、人にやらされ感を与えない。しかし、自分の信念はしっかり持っていてなかなかあきらめない。土俵際で踏ん張る貴乃花(先代)のようなリーダーである。そして、結局自分のやりたいことを実現してしまう。別の言い方をすれば、「お釈迦様の掌型」で人をリードするタイプとも言える。
こういうタイプのリーダーは目立たないし、マスコミ受けもしない(記事になりにくいということ)あるいはマスコミを避けているので世間に出てこないが結構いる。企業で言えば、エーザイ、一部の総合商社、リクルート、ユニ・チャーム、長島・大野・常松法律事務所などトップが前面に出てこなくても、組織に活力があり、業績が良い企業はその可能性が高いと思う。

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