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2008年1月30日 (水)

プロフェッショナルの条件とは

昨日のイチローの記事に、Jさんから大変興味深いコメントが寄せられた。
詳細はコメント欄を見てもらうとして、それに触発されたのが今日のテーマだ。

Jさんのコメントを私なりに解釈すれば、イチローは一選手としては優秀かもしれないが、野球がチームプレーであることを忘れて個人主義に走りすぎているが故にアメリカのファンの間ではすごいな(impressive)とは思われても、尊敬(respect)はされないのだという。

なるほどと思う反面、それは悪いことなのかという疑問も浮かんできた。
日本を飛び出て海外で活躍した選手は多かれ少なかれ、似たタイプが多い。サッカーの中田英寿がそのタイプだし、古くは野茂もそうだったと思う。

以前私が書いた本の中に、これからの組織における働き方を銀行ギャング団方式として提唱したことがあった。少し長いが引用しよう。

実力がすべての銀行ギャング団方式
 プロフェッショナルの能力を活かし、やる気を育てる仕組みの一例として「銀行ギャング団方式」を提唱したい。
 銀行ギャングを成功させるためには、いくつかの条件がある。まずは特定分野の専門家を集めなければならない。例えば、金庫を開ける係、爆破係、運転手、セキュリティシステムの専門家、拳銃などの武器を使える人間などである。ボスになる人間は、これらの分野の専門家をどこからか集めてこなければならない。加えて、個性派の彼らを目的のために協力し合うようにし向けなければならない。
 もし金庫を開けることが、銀行ギャング成功のために最も重要であるならば、ボスより年上であろうが嫌なヤツであろうが、もっともスキルのある人間を選ばなければ成功の確率は下がる。目的を達成した場合には仕事の難しさや貢献度に応じて報酬を払わなければならない。そして銀行ギャングが成功した暁には、ボスではなく金庫を開けた人間が最高の報酬を受け取ることさえ十分あり得る。
 要するに与えられたミッション、あるいは自ら設定したミッションの遂行にふさわしいチームフォーメーションを取ることが重要であり、今までのような年功や地位でメンバーを選ぶよりも、スキルとプロ意識でメンバーを選ぶと言うことである。(内田和成「eエコノミーの企業戦略」、PHP社、2000)

要するに変わり者でも、組織のミッション達成のために必要な人間であれば、そいつを使いこなす必要があるし、リーダーにはそれだけの力量・度量が求められるという話だ。

イチローがマリナーズにとって果たしてそういう存在なのかどうかは私にはよく分からない。しかし、彼は私が上に定義したところの仕事請負人としては一流であることは間違いない。
しかし、日本ハムを一年で日本一に導いた新庄剛のような求心力がないことはJさんの言うとおりであろう。新庄は記録だけ取れば平凡であるが、何か人をその気にさせるものを持っているのだろう。しかし、それが人の上に立つリーダーに向いた資質かというとまた別のものであろう。

例えば、現役時代の落合は今のイチロー以上にチームプレーヤーではなかった。
ところが、その落合がリーダーとしては、きわめて成功しているのだから、人生は分からないというのが正直な感想だ。

少し脱線しましたが、真のプロとは、あるいはそのプロを束ねるチームプレイとは、あるいはそのリーダーの資質とはについて大いに考えさせられるJさんの投げかけでした。
皆さんの声をお聞かせください。

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コメント

Jさんへ

確かにスポーツとビジネスというのは盛り上がるネタですね。
企業でもあるレベルで満足してしまって、それ以上、上を目指さない人が増えてきている気がします。そういう風潮がある中で、常に上を目指すイチローや中田が普通の日本人とは違うぞ、これぞプロではないかと言うことで共感を呼んだ気がします。
一方で彼らが目指している方向がチーム力を上げるためあるいはチームのキャプテンとしてと言うことになるとちょっと違うのでしょうね。それがJさんから見ると物足りないのでしょう。
企業で上に上がる人にも、始めから次のポジションでの活躍が予想できるタイプと、未知数だが上げてみたら予想以上に機能する人と二通りある気がします。
イチローや中田はどちらのタイプなんですかね。

投稿: 内田和成 | 2008年2月 1日 (金) 22時21分

いろいろと話が進み、参考になることも多いです。

プレーヤーとリーダーという対比もさることながら、私はアスリート個人としての目標設定が気になったのだと思いました。イチロー選手の場合、いかに首位打者や安打数記録などが大変なものだとしても、すでに過去に達成しています。

その反復・継続にも意味がなくはないのでしょうが、あれだけの選手ならもっと高い次元、これまで達成していないことに挑んで欲しいという、スポーツファンとしての願いがあります。それがチーム全体を引き上げるリーダーシップかどうかは別にして。

もちろんそれは個々人の価値観なので、他人がとやかく言う筋合いではありません。でも個人目標にこだわるイチロー選手の発言を聞くと、それはチーム力向上へのもっと高いレベルへの挑戦を回避する逃げ・言い訳ではないか、というのが私の邪推・偏見(もしかしたら仮説?)です。極論を恐れずに言えば、目線が低いように思えたのです。

また、イチロー選手のことになると手放しで賞賛一色になる日本国内の言論への私の疑問の投げかけでもあります。せっかくの超一流選手なのだから、われわれ(気楽な)ファンはもっと批判したりあるいは要求してもいいのではと...

個人の能力向上については、イチロー選手の「語録」、私もいくつも好きなものがありますよ。

スポーツを題材にするビジネスの話、尽きませんね。内田さん、皆さん、ありがとうございます。

投稿: J | 2008年2月 1日 (金) 08時35分

プロフェッショナルの条件、おもしろいテーマだけに盛り上がりますね。

プロなんだから役割期待をきちんと演じられるかどうかという考えは、その通りだと思います。
イチロー選手は日本で見ている限り、その役割を果たしているが、アメリカの市場から見れば国民の人気者になるにはまだまだということなのでしょうね。

しかし、名無しさんのコメントにもあるようにいくら一流選手でも同時にリーダーとして機能するかどうかはやってみなければ分からないというものその通りですね。
しかし、これは私の推測ですが、イチローも中田もリーダーとしては成功しない気がします。星野が持っているような、この人のためなら死んでも良いという気持ちを下のものに抱かせる感じがないのです。
しかし、落合だった選手の時はそうではなかったと言われると反論は出来ません。発展途上の選手から見れば、自分を如何に成長させてくれるかがリーダーに求める最大の要素かも知れませんね。あのイチローでさえ、仰木監督に見いだされなければ今の成功はなかったわけですから。

投稿: 内田和成 | 2008年2月 1日 (金) 00時18分

「プロフェッショナル」「リーダー」
「チームプレー」の3つの要素を満たすことが
本当に難しいことなのだなぁと考えさせられました。

このことは、ヤクルトの古田プレーイングマネージャー
の例を見ても明らかだと思います。
自分成績を考え、チームのことも考えるという事は
とても難しいのでしょう。

リーダーの資質があるとか、ないとかは
極論すれば、結果からいえる事で結果を出し続けている以上、その人がどんなやり方をしていようが、
リーダーとして相応しいという事になるのでは
ないでしょうか?(勝てば官軍)

野球ファンの私からすれば、日本シリーズ史上初の完全試合の可能性もあった山井を交代させた落合監督にリーダーとしての資質を疑っていますが(笑)

投稿: | 2008年1月31日 (木) 22時47分

私の考えも、皆さん仰ることに似ています。その人がプロかどうかはかる際の指標は、ミッションに照らし合わせて考えるべきと思います。そして、その上で、僕は、イチローは疑うべきところは全くない、真のプロフェッショナルと思います。

彼の現在のミッションは監督ではないし、チームリーダーでもない。それは、彼自身がそう思っているのだと思うし、それ以上に、チームとして彼にそういうミッションを与えていないのだと思います。チームとして、メンバーとしての活躍を認め、またそれを期待しての、あの金額での契約更新だと思うからです。
逆に、リーダーを期待しているならば、リーダー的振る舞いとリーダーとしての成果を出していなければ、契約更新されないか、金額(市場価値)があがる契約更新はされなかったのではないか、と思うのです。

メンバーとしてチームに貢献していないならプロではないけど、彼はメンバーとしてチームが期待している以上に貢献している。先頭バッターとしての成果、守備での成果。そういう意味で、彼はミッション内で、期待以上の成果をあげている。

そういう意味で、僕は彼は疑うべきところは何もない、プロフェッショナルだと思います。

投稿: Hiro | 2008年1月31日 (木) 02時49分

タタ・ショックからの連投失礼します。
プロフェッショナルの条件ということですが、私もKさん同様立ち位置によって「プロとしての条件」が変わっていくのではないかと思います。
単純な例になりますが、高校の部活動での役割の変化でも同じことが言えるのではないでしょうか。一年生はただがむしゃらにひたむきに練習し、上手くなることが一年生なりの「プロとしての条件」になるのではないかと思います。しかし三年生となり、自分の技術向上だけではなくチーム全体のことを考えなくてはならない立場になった時「プロとしての条件」は変わり、チームを盛りたてていくことがそのチームにとっての「プロの条件」なのだと思います。あまりうまい例じゃないですね(笑)
ただ、部活や企業などの様に「明らかに立場が変わる瞬間」がわかる時には、何が本当のプロなのかというのも分かりやすい。落合監督もプレーヤーから監督に明らかに変わったから「プロ」として目指すものも変わったのではないかと思います。けれども、基本的に打って走って投げるという誰しもがプレイヤーの時代では、その境目がなかなか難しいのではないでしょうか。チームに目を向けるのは自分が一番年長者になった時なのか、ピークを迎えた時なのか、チームに在籍して10年経ったらなのか。それとも目を向けずに終えるのか。様々な切り方があるように思えます。
イチロー選手はまだ自分を「成長期」と見てその中での「プロ」としての在り方を追求しているように思えました。なので、チームを束ねる「プロ」になるにはもう少ししてからか、それともプレイヤー時代にはあくまでリーダーにはならず現役を引退するのでは?とも思います。加えて現役外国人選手が現役国内選手を引っ張るというのは本来あるべきでも、若干稀なケースではないかなぁ…と浅はかにも思ってしまいました。
また、サッカーのカズも、一般的にはコーチとして実績を積む年齢で現役にこだわり続けることは、他人との比較よりも自分との戦いに執着し続けるという点で、イチローの逆説的な「プロ」の形とは違いますが、究極的な「プロ」ではないかと思いました。
長文失礼しました!

投稿: bell | 2008年1月31日 (木) 02時15分

イチロー選手は個人としてのプレーが本当に卓越しているので、その成績を落とす危険を冒してまでリーダー、チームプレイヤーを目指さなくても良いのではと私は思います。
現時点で、内田さんの仰る”特定分野の専門家”の役割を充分果たしているのではないかと。
また野球は、他のスポーツより個人プレーが目立つスポーツに思います。

ただ、WBCのときはイチロー選手はリーダーとして、チームプレイヤーとして振る舞っていたように思います。
環境、そこでの立ち位置等により役割も変わってくるということでしょうか。
昨年MLBのオールスターでMVPをとったとき通訳を挟んでインタビューに答えていたことを考えると、アメリカでは英語の問題もあるのかもしれません。
言い訳というよりは現状として。

投稿: K | 2008年1月31日 (木) 00時36分

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