人間ドック:逆転の発想
今日の午前中、1年ぶりの人間ドックに慶應病院の人間ドックに行ってきた。早稲田の方からは怒られそうであるが、これまでの経緯もあるので同じところの方がよいと思っているからだ。しかし、それにしても気が乗らない。この年になると毎年1回、場合によっては1年に2回行った方がよいと分かっていても、出来れば行きたくない。
今日も案の定、胃のバリウム検査の頃には、バリウムを飲む前から何となく気分が憂鬱で、終わった頃には疲労困憊だった。
。慶應に限らず、大半の人間ドックは、見てもらう人間の方が次から次へと場所を移動して、それぞれの機械や医師のいるところで検査を受けることになる。場合によっては、待ち行列(渋滞)が発生して、ずいぶん待たされるし、あるところはガラガラと言うことが起きる。
いくら人間ドックが嫌いといっても、根がコンサルタント、待ち時間が多いのでつい考え事をする。そしてふと思いついた。人間がまるでベルトコンベアの上の自動車のようにグルグル回るのは、なんか変ではないか。人間はそれぞれ一ヶ所にいて、検査機械と技師、医者、看護師の方が回る方が人間的だ。もちろん、多少は価格が高くなるのだろうが、今の仕組みの苦痛に比べれば、プレミアムを払っても良いかな・・・。
人間ドックが今のような仕組みになっているのは、もちろん効率が重要なためだと思うが、もう一方で患者より医者や病院の方がえらかった時代の名残かなとも思った。
そういえば、昔コンピュータがきわめて効果だった時代を思い出した。今から30年以上前のことであるが、IBM360という名機があったがきわめて高価で繊細な機械だった。その元を取るために人間の方が昼間だけでなく、夜も夜勤で働く人がたくさんいた。そして壊れてはいけないということで空調の効いた大きな部屋を占有していた。そこでは人間の方が寒くて仕方なかった。完全に機械が主役で、人間は従だった。
今のように安くて高性能なPCがふんだんに使える時代では考えられない話だ。
人間ドックも早くそうなると良いな。
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コメント
Keyさんへ
PCを完璧に使いこなすということは、逆に機械に振り回されているということになると思いますので、自分に必要なミニマムの機能だけ使いこなすことが人間中心(主役)という意味だと思います。Keyさんも機械の持っている機能を全部使おうと思うと機械に振り回されてしまうので、適当に使っていればよいのでは・・・。
私が言っている機械が主役というのは、以前のコンピュータであれば、その機械が24時間動いているように人間を24時間働かせるという発想のことで、人間が人間らしい生活を送ることは二の次になっていたからです。
アナログ、良いですね。私もアナログ大好きです。雑誌にも情報活用はアナログでという記事を書いているくらいです。
投稿: 内田和成 | 2007年12月22日 (土) 00時18分
「完全に機械が主役で、人間は従だった。
今のように安くて高性能なPCがふんだんに使える時代では考えられない話だ。」とのことですが・・・
果たして、私はPC機能の何割使いこなしているのだろうか? 携帯にいたってはメールと通話機能以外使っていない。
まだまだ、機械の方が主役のような気もしますが
私だけでしょうか?
世の中、すべての事が簡略化傾向ですね。
ムリ・ムラ・ムダをなくすことに重点を置きすぎてるのでは?
実はその中に、大切なもの潜んでいるかもしれませんね。
時代は、アナログからデジタルへ。
▼▼逆転の発想▼▼
私は、デジタルからアナログへ。に挑戦します
早速、友人にメールするのを止め、このあと手紙
を書いてみようと思います。
あと、アナログなビジネスモデルも考えてみることにします。
投稿: key | 2007年12月19日 (水) 23時28分